中枢神経症状の進行抑制を実現した「イズカーゴ」が生み出されるまで

神戸の研究所で発見され、日本の医療現場で効果が確かめられたムコ多糖症II型治療薬

2021.7.15(聞き手:ステラ・メディックス 星良孝)

 ムコ多糖症II型の中枢神経症状の進行を抑制する治療薬「イズカーゴ®点滴静注用10mg〔パビナフスプアルファ(遺伝子組換え)点滴静注用製剤〕(以下、イズカーゴ)」。

 開発着手のきっかけは、ムコ多糖症II型のお子さんを持つ保護者の薬を求める切実な訴えだった。研究の初期から一貫して携わったJCRファーマ常務取締役 研究本部長の薗田啓之氏に聞く。

常務取締役 研究本部長 薗田啓之氏

常務取締役 研究本部長 薗田啓之氏(撮影:菅野勝男、以下同)

 2021年5月に日本の製薬企業であるJCRファーマの「イズカーゴ」が承認および薬価収載され、日本の医療現場で処方可能になった。

 対象疾患は、「ムコ多糖症II型」、別名、「ハンター症候群」となる。ムコ多糖症II型は、先天性代謝異常症の一つ。原因は、細胞内にあるライソゾーム(リソソーム)に、グルコサミノグリカン(ムコ多糖)を分解する酵素が欠損すること。

 ムコ多糖は分解されないと、全身の細胞に蓄積し、さまざまな異常につながる。中でも問題になるのが、知能の発達が遅れるなどの中枢神経症状となってくる。

 そうした中で、中枢神経症状の進行を抑制できる薬が新たに承認されたイズカーゴとなった。

 イズカーゴはJCRファーマの神戸の研究所で創出され、日本の医療現場において患者さんでの効果が世界に先駆けて証明された。患者さんに投与できるまでの道のりはこの病気を解決しようとした研究者らの15年近くにわたる探索の試行錯誤の日々と重なっている。

患者会への参加が開発の端緒に

 開発に当たったJCRファーマ常務取締役 研究本部長の薗田啓之氏は「薬剤研究の端緒は患者会への参加が始まりだった」と語る。

 JCRファーマに入社した2003年の薗田氏は「患者さんがしんどい状況を解決していこう。何か新しいことにも取り組んでいこう」と思い描いていた。社内には多様な研究テーマがあったが、薗田氏が注目した疾患の一つがムコ多糖症。成長ホルモンなどのタンパク質による医薬を手がける製薬企業として、酵素が欠損する疾患は必然的に研究対象になっていた。もっともムコ多糖症を解決する術が社内で導かれているわけではなかった。

 2005年のこと、1年に1回開かれていたムコ多糖症の患者や家族が集う「親の会」に参加する機会があった。「話だけでも聞いてほしい」。患者の家族は薗田氏を最初は医師と間違えた。「製薬企業から来ている」と伝えたものの、家族はムコ多糖症の症状や日々の状況について訴えた。

 初めてムコ多糖症の実状を理解した薗田氏は、その薬剤を生み出す意義の大きさを実感した。ムコ多糖症II型は、親子のQOLにダイレクトに関係している病気であると分かったからだ。「ハンター症候群では患者さんの7割くらいが中枢神経系に症状が出てくる。患者さんは早ければ3歳ころから症状が現れ始めて、診断が付くまでに数年かかる。 1)その間にも徐々に進行し、意思疎通がうまく取れなくなっていく。意思疎通ができないと、親もがんばれないと思う」

 最終的に寝たきりになって、世話をする親がたとえ辛さを感じたとしても、「ありがとう」と声をかけられる状況ならばまだ救いになるのではないか。「意思疎通ができるように変えられる治療が実現できたら」と薗田氏は考えた。

 通常では経験することがないであろう葛藤に悩む両親の姿を見たことが、研究の入り口になった。最初は、通常業務と並行して、自分自身の研究として手がけ始めた。

家族会で患者家族と会話したことがきっかけになった

家族会で患者家族と会話したことがきっかけになった

ムコ多糖症II型ならではの見落とされる理由

 ムコ多糖症II型では、イズロン酸-2-スルファターゼという酵素が欠損して、すべての細胞にムコ多糖という物質がたまる。ムコ多糖は本来であれば、新しく作られ、分解されていくリサイクルを繰り返す。しかし、ムコ多糖II型では、細胞膜に多く存在している「ヘパラン硫酸」や皮膚や血管などに多い「デルマタン硫酸」という代謝物質が酵素の欠損のために分解されずにたまっていく。

 たまっていくと細胞が機能せずに、細胞死が起こる。死ななくても機能が喪失する。全身の細胞にたまるが、脳の神経細胞でもヘパラン硫酸の蓄積による影響を受けてしまい、脳に影響が及んでくる。すると知的障害や聴覚障害から起こる言葉の遅れが現れる。しゃべれない、記憶できない、眠れない、じっとしていられない、暴力的になるといった症状が現れる。それが中枢神経症状であるが、一般的な発達の問題とも見分けがつきづらいのは診断を遅らせる原因にもなる。

 造血幹細胞移植を早期に行うと治療効果があると考えられ、2歳までに治療を行うとよいという目安もあるが、2歳までに診断されて治療に至るケースは多くはない。

 小児科医が希少疾患に通じている場合、専門医に紹介されるケースはある。例えば、「ガーゴイル様顔貌」と呼ばれる額が突出したり眼球が出てきたりする特徴的な顔つき、多毛や蒙古斑が多いといった特徴から診断に結びつくことはある。啓発が進み、インターネットで調べられるようになり状況も変わりつつあるが、医療現場では、教科書に載っていても診察する機会がなく知られていないために診断に至らずに様子見となることも多い。

 「兄が既に病気になっており、弟で病気が疑われる場合、または医師が専門性を持っていて幸運にも気がつくことができた場合くらいでなければ、ほとんどのケースでは2歳までに診断は付かない」

 診断が付かない場合、ヘルニアやアデノイドといった一般的な疾患として、息がしづらい場合などに対症療法として手術を受ける可能性もある。

 複数の型に分類されているムコ多糖症の中でも見落とされやすいのは、ムコ多糖症II型は症状がゆっくりと進むからでもある。なかなか異常に気付かれない。

 早期の治療開始により進行を止められる薬剤は実現の可能性があるのではないか。薗田氏らはそう想定していた。

図・イズカーゴが血液脳関門(BBB)を通過する仕組み

図・イズカーゴが血液脳関門(BBB)を通過する仕組み

 トランスフェリン受容体(TfR)は、鉄分を運んでいるトランスフェリンを取り込む役割を持っている。

 イズカーゴは、TfRに結合する抗体(ヒト化抗TfR抗体)とイズロン酸-2-スルファターゼの融合タンパク質であり、TfRに抗体が結合し、トランスフェリンを運び込む仕組みを利用して、BBBを通過することができるようになっている。

問題となるのは血液脳関門

 薗田氏は、文献を徹底的に調査し治療手段を作り出せる可能性を見いだしていく。目標は家族らにとって大きな問題になっている中枢神経症状の進行を抑え込む薬剤を生み出すこと。

 ムコ多糖症II型の中枢神経症状を解決するためには、脳の神経細胞に蓄積するヘパラン硫酸を減らす必要があると薗田氏らは考えた。キーは、蓄積の解消だ。

 「欠損しているイズロン酸-2-スルファターゼを神経細胞の中まで届けることができないか」。そう考えたときに問題となるのは、脳の神経細胞に酵素を届けるために障害となる「血液脳関門(BBB)」だった。それは、血液から脳へ不要な物の移動を防ぐ、我々が元来備える仕組みとなっている。脳を守る役割がある半面、薬を脳に効かせようとした場合に、薬が拒絶されるので、治療の壁にもなる。一般的に酵素は、血液脳関門を通過できない。

 薗田氏らの研究グループは、論文や特許の情報を集めて、片っ端からBBBの通過につながり得る技術を実験で確かめていった。

 「BBBの通過を証明するのも否定するのも簡単ではない。通過したといっても、わずかな違いなので誤りであることも多いと考えられた」

 2008年くらいからBBBに関する研究に注力したが、薗田氏が心掛けたのは、単に試験管で薬剤がBBBを越えそうであると確認するだけではなく、ムコ多糖症II型の病態を持ったモデル動物でヘパラン硫酸の減少につながるなどの効果を確認するところまで厳しく検証することだ。

 薗田氏らが目指したイメージは、脳内の毛細血管で形作られる血管網のすみずみにおいてBBBを通過し、すみずみの神経細胞に到達できるような薬剤の開発。

 動物実験の段階では、マウスの脳などは小さいので実際に血液脳関門を通過できていなくても、脳の神経細胞に薬剤が届いたかのように観察されやすいのではないかとシビアな立場を取るようにしたという。ミクロで見ても本当に血液脳関門を通過して、症状を緩和できるかどうかにこだわった。

 「BBBを通過する技術を応用するのが目的ではなく、病気を治すことを目的とした。単にBBBを越えるだけでは意味はなく、実際に効いているのかに注意を払っていた。これが意外とよかった。研究開発のすべての過程でそこを踏み外さなかったのは大きかった」

 研究のためにも多様な組換えタンパク質を作製する必要があった。JCRファーマには"ものづくり"を可能にする体制が整っていたのは幸いした。2003年の薗田氏の入社からの時期は折しも、バイオ医薬である成長ホルモンに加えて、バイオシミラーと呼ばれるバイオ医薬品の後発薬の開発を進める動きと重なっていた。バイオシミラーは2010年に承認されているが、バイオ医薬を生み出すための人材、設備がイズカーゴの開発でも活きた。

 「イズカーゴが最初のバイオ医薬だったらうまくいかなったかもしれないとさえ思う。"ものづくり"の基盤があったのはよかった」

薗田氏とJCRファーマ研究員

薗田氏とJCRファーマ研究員

患者さんの中枢神経症状の緩和を確認

 脳の神経細胞に到達する薬剤を探り続けた末、遂に成功に至った。血液脳関門を通過するために応用したのが、鉄分を細胞に取り組む仕組みの一つである「トランスフェリン」というタンパク質を利用する技術だった。

 トランスサイトーシスと呼ばれる細胞を通り抜ける現象があり、BBBを越えて薬剤を脳に運ぶ方法の候補になっていた。

 薗田氏らのグループは、トランスフェリン受容体に結合する抗体にイズロン酸-2-スルファターゼをつなげた融合タンパク質を作り、BBB通過を試みた。

 2011年のお盆の時期に、最初のブレークスルーとなる実験結果が出た。動物モデルであるマウスで確かにBBBの通過を確認したのである。マウスの学習能力の低下も防いでいた。2014年に第2のブレークとして、サルでもBBBの通過を確認。

 従来は、マウスをはじめとした齧歯類でしか機能しないと考えられた仕組みだったが、それにとどまらないことを世界で初めて確認することとなった。BBB通過技術は「J-Brain Cargo®」と名付けた。

 2017年に、患者さんを対象とした初期の臨床フェーズ1/2試験で、脳脊髄液中のヘパラン硫酸が減ることを確認。神経認知機能や運動の症状が緩和する患者さんもいた。 2)

 この成功を受けて、2018~2020年にかけて臨床試験のフェーズ3として、28人の患者を対象として52週間投与の効果を確認。脳脊髄液のヘパラン硫酸は有意に減少し、認知機能評価を実施した25人のうち21人は神経認知機能の維持または改善が認められた。有害事象は軽度から中等度で、管理可能なものであることも確認できた。 3)

 患者さん本人はもとより、親にとっても大きな問題になる、ムコ多糖症II型の中枢神経症状に効果を示した薬剤はかつてない。15年近くにわたる探索の末に、思い描いていた中枢神経症状の進行抑制を遂に確認したことになる。

 「もともとは患者さんの声から始まったのですが、それを自分自身の問題意識で進めてきた。苦労しながらも、信じて続けた結果だと思う」

 その後、トランスフェリン受容体の関連技術を保有していた米国アーマジェン社(ArmaGen社)もJCRファーマのグループ企業として加入。世界に薬剤を届ける体制も整えた。既にブラジルにおいても臨床試験を終え、承認申請中である。

 イズカーゴはJCRファーマが日本で生み出した、中枢神経症状に効果を示したムコ多糖症II型の薬剤となる。JCRファーマでは多くの患者さんを救うことにつながると期待している。

文献

  1. D’Avanzo F, et al. Int J Mol Sci. 21(4): 1258, 2020. (PMID: 32070051)
  2. Okuyama T, et al. Mol Ther. 27(2): 456-464, 2019. (PMID: 30595526)
  3. Okuyama T, et al. Mol Ther. 29(2): 671-679, 2021. (PMID: 33038326)
  1. 本ページでは、配信元であるステラ・メディックスが作成したコンテンツを医学および薬学の発展のために提供しております。本コンテンツは、弊社医薬品の広告宣伝を目的としたものではありません。